【それはまるで、巡り合わせのように】


「はぁ……」
 ため息を一つついて、少年は頬杖と共にギルドの一角に目をやった。壁に打ち付けられた板に、無数の紙が貼り付けられている。
『オリハル○コンナイツ参加者募集 集え、耐久力に自信のある者!』
『全国○肉食品協会 新規メンバー募集。芸事が得意な人 大歓迎』
 旅人の互助組織「アストローナ冒険者組合」、そのギルドで加盟者が情報交換などに使う「掲示板」だ。少年――ライカが書いた紙も一枚、貼られている。
『こちら戦士一名、イブラシルへ共に渡ってくれるパーティメンバーを募集します ライカ』
 彼の目的は、修行。己の技がどれだけ通じるか、どれだけ高められるか。イブラシル大陸という未知の世界で自分の力を試してみたいと意気込んで参加したも のだった。今回、組合の呼びかけに応じ、ここアストローナ大陸からイブラシル大陸への移動を募集した旅人はおよそ900名前後。これならきっと、自分と一 緒に旅をしてくれる人も見つかる。そう思って掲示板へ同行者を募集する紙を貼りつけた。だが、彼らの多くは移動後に行動を共にする仲間を決めていたり、ある いは気ままな一人旅を希望しているのか、貼り出して数日が経っても、応じてくれる人は現れていなかった。
(何か書き方がまずかったんだろうか。失礼なことは書かないように推敲したつもりだったんだけど……)
 掲示板に募集の旨を張り出すだけではなく、他の募集記事を見て応募してみたりもしたが、それは門前払いに終わっていた。
『なんつうかお前、大人しいな。うちの連中は気が荒いから、多分性に合わないだろう』
『坊やにはまだ早いんじゃないかしら。もうちょっと頼れるようになってから来てくれると嬉しいわね』
 少し女性的な相貌や、大人しい性格が同行者としては不安を感じさせるらしかった。武器をとっての打ち合いとなれば、人後に落ちない自信はある。得物の大 太刀を握れば嘘のように頭が澄み、迷うことなくそれを振るうことができる。だが、それ以外のこととなると途端に悩みがちなのが自分でも困ったところだっ た。今日にしても、ここで頼む飲み物にどれだけ迷ったことだろうか。
「僕、こういうの下手だったんだな……」
 もう一度ついたため息に、飲みかけのコーヒーの水面が揺れる。ふと目を移すと、イブラシルではなくアストローナ内での冒険者用の記事が目に入った。
『アレンまで護衛募集』
 現在戦雲に覆われているイブラシルと違って、アストローナは20数年前の大戦を最後に平和な時が続いている。修行する場所としての効率は、イブラシルに 比べれば数段落ちてしまうだろう。だが、こちらなら彼を同行させてくれる人も見つかるかもしれない。
「ああ、どうしよう……行くべきか、戻るべきか」
 頭を抱えて悩んでみたが、結論は出ない。こういう時は、いっそ自己嫌悪に陥りそうなほど物事を決めることができなかった。
「……どうしよう……」
 もう一度言って、コーヒーに手を伸ばす。口中に流し込んだそれは、だがもう、既に彼の想定よりも冷め、飲み時をほとんど逃してしまっていた。ライカは、 顔をしかめて思わずコーヒーをテーブルに戻す。
(僕も、このコーヒーみたいに修行っていうタイミングを逃してしまうのかな。折角一念発起して、ディアスまでやってきたのに……)
 カップの中で茶褐色の液体に映っていた自分の顔が、テーブルに置かれた衝撃で波紋となって崩れるのが見える。ぼんやりとしか映っていないのにそれが酷く 情けない顔になっていることが分かって、ライカは不意に悔しさに襲われた。
(もう一日だけ……もう一日だけ頑張ってみよう。ここで諦めたら、腕を上げたって修行は失敗したみたいなものじゃないか)
 自分を鍛えるということは、けして肉体だけの話ではない。それを操る心も伴わなければ、技も力もけして強さにはなってくれない。そう考えていたことを、 ふと思い出したのだった。
 ぐっとコーヒーカップを掴んで、ぬるい中身を一息に飲み干す。口に広がる苦味が、気持ちを起こす励みになった。もう一度勢い良くカップを置くと、がたり と席を立つ。何も、仲間の募集は掲示板だけでやるものではない。別にここにいる人に直接話しかけて何かまずいわけでもないのだ。
(よし、やるぞ!)
 そう思った刹那、飛来物の気配を感じてライカは首を傾げた。直後、後方からカードが彼の頬のすぐ側を通り抜ける。
「てめえ、細工しやがったな!」
 振り返ると、二人の男が立ち上がるところだった。一人は手先の器用そうな細面、もう一人は丸太のように腕の太い髭面だ。手元に、先ほど彼に当たりそうに なったカードが散乱している。どうやら、カード勝負で何かあったらしかった。向かい合う男は二人とも顔が赤く、横にはピッチャーがいくつか並べられてい る。共に大分酒が回っているのは誰にも明らかだ。
「俺の前でサマたぁいい度胸してるじゃねえか!」
「あぁ、お前こそ俺にケチつける気か?」
 髭面がギチリと歯を鳴らし、細面は目をいからせる。直後、互いに振り上げた拳が互いの顔面に叩き込まれる――はずだったが、それは共に側面から手首を掴 まれて相手に届くことはない。
「やめてください、こんな場所で。他の人の迷惑でしょう?」
 二人の手首を掴んだのは、ライカだった。



  -PAUSE-



「「なんだ、てめえは!?」」
 二人が、声を揃えてライカに泡を飛ばした。
「誰でもいいでしょう。でも、こんなところで殴り合いはやめましょうよ」
 手首を掴んだまま、ライカは穏やかに言った。先程まで頭を抱えていた彼を見ていた人なら、その変りように驚いていただろう。
「賭けに熱くなるのはいいですけど、これ以上は他の人の迷惑です」
 至極冷静な意見だったが、酔った頭に通じるものではなかった。二人の顔が更に赤くなるが同時なら、もう片方の拳が振り上げられるのも同時。喧嘩をしていたとは思えない息の合いようだ。
「んだと、このガキ!」
「生ァ言ってんじゃねえぞ!」
 ライカの顔を挟むように繰り出された双拳は、しかし虚しく交差する。
「「あ?」」
 今度は声が交差し、二人の視線は同時に下を向いた。
「だから、迷惑ですって!」
  咄嗟に二人の手首を放したライカは、しゃがみ込んで双拳をくぐり抜けていた。そして次の瞬間、蛙のように伸び上がった体から放たれた両拳が二人の顎に叩き 込まれる。ただし、耐久力があると見た髭面の方は、一撃では終わらせない。地を踏みしめ直して、ライカは回し蹴りを打ち込んだ。
「「ぐ」がっ!!」
 わずかにずれた声を残して、二人が吹っ飛ばされる。ただ、ライカは一つだけ失念していたことがあった。それは、人の多いこの場所では、吹っ飛ばした先にもテーブルがあるということだった。
「あ、危ない!」
 ライカは、慌てて髭面の男の方角に叫んだ。
「えっ……わぁ!?」
 声を聞いて、髭面の飛んだ先にいた少女が慌てて横へ避ける。轟音を立てて髭面はテーブルにぶち当たり、置かれていた料理や飲み物を散乱させた。ライカは、慌てて先程の少女に駆け寄る。眼鏡をかけた、長い黒髪の娘だった。年も、そう離れてはいないだろうか。
「ご、ごごごめんなさい。飛ばす方向までは頭が行かなくて……大丈夫ですか?」
「う、うん……」
 少女は、目をぱちくりさせながら答える。幸い、髭面にぶつかられも、飛び散ったものでの怪我もしていないようだった。
「でも……」
「え、え? やっぱり、どこか痛みますか?」
 慌てるライカに、少女はぷっと吹き出した。
「そんなに慌てて、なんだか、さっきの落ち着き様が別人みたい」
「あ……」
 ライカは顔を赤くし、少女はもう一度笑う。そうしてから手に持っていた帽子を頭に乗せ、今度はにっこりとした。
「心配してくれてありがとう。ボクはキャロル。キャロライン・エインズレイ。キミは?」


  -PAUSE-

「ふぅん、修行の旅かあ。真面目なんだねえ」
「ええ、自分の力を試してみたいんです」
 噴水を見ながら、キャロルは楽しそうにライカの話を聞いていた。特に興味のわいたらしい事を聞くと、長椅子にかけた足を軽く前後に揺すらせる。
  細面と髭面を張り倒した後、ライカはギルドを出ていた。二人の仲間がいて、逆恨みに襲いかかられても困ると考えたためだ。だが、こっそりと抜け出た筈が、 キャロルと名乗った少女はついてきていた。どうして、と思った表情を見て、キャロルはまたくすりとする。そうしていつしか、ライカは噴水前の広場でキャロ ルに旅の理由を話すことになっていた。ライカが最初に見た時は大人しそうにも見えたが、話してみれば活発そのものだ。ころころと変わる表情のおかげで、話 しているライカ自身も退屈しなかった。
「そういうエインズレイさんは、どうして?」
「うん、ボクはね……薬草を探してるんだ」
 そう言うと、キャロルは立ち上がってこつこつと何歩か歩く。振り向きはしなかったが、声は少し重いように感じられた。
「兄様がね、あまり体が強くないんだ。それで、イブラシル大陸ならこっちにない薬草もあるからって」
「そうなんですか……」
「まあ、ボク自身がイブラシルを見てみたいって言うのも、すっごく大きな理由なんだけどね」
 くすっと微笑んで、キャロルは振り返る。その時にはもう、声に陰はなかった。
「で、一人じゃやっぱり不安だから、同行してくれる人がいないかなってギルドに行ったばかりだったんだけど……まさかいきなりあんな場面に出くわすとは思わなかったなあ」
「やっぱり、荒っぽい連中も多いところですからね」
 言いながら、ライカはふと思った。
(来たばかりってことは、エインズレイさんは今はまだ同行者が決まってないんだろうか?)
 不意に、どきんと胸が脈を打つ。同行者が欲しいのは、自分も同じだ。むしろ、今日は本当はもう一度そのために頑張るはずだった。
「あ、あの、エインズレイさん」
「ん?」
 小首を傾げるキャロルに、ライカは一瞬言葉が詰まってしまう。思わず声を出してはみたが、どう話せばいいかはまるで決まっていなかった。
「あのですね、その」
「うん」
 意味のない繋ぎ言葉を言った後、しばらく黙ってしまう。キャロルの視線が、次第に訝しげに変わっていくのが見て取れた。
(くそ、何をやっているんだ僕は。もう一度頑張るって、決めたじゃないか!)
 自分を叱咤し、長椅子から立ち上がる。そうしてもう一度、心に喉を通らせた。
「エインズレイさん、同行者を探してギルドに来たばかりって言ってましたよね」
「うん、そうだけど?」
「も、もしまだ決まってなかったら、僕と……の、冒険に……」
 また、次第次第に声が萎んでいってしまう。そう感じて、ライカは両拳を握り締めた。
「付き合って、もらえませんか!?」
「……え?」
 キャロルが目を丸くする。そこから微かに『この人は何を言っているんだろう』という気配を感じて、ライカは内心、手酷く拒絶されることを覚悟した。
(ああ、やっぱり唐突だったかなあ……)
 しかし、返ってきたのは想定した拒絶ではなく、向こうからの疑問だった。
「ボク、告白されちゃった?」
「……は?」
 今度は、ライカが目を丸くする番だった。
「だって、言ったでしょ? 『僕と』『付き合って、もらえませんか』って」
 萎んでいった声で、言葉がしっかりと伝わっていなかったらしいことに思い至ったライカは、途端に弁明の言葉を頭の中の辞書から総動員させる指示を、自分の処理能力を超えそうなほど脳に伝えていた。
「い、いえ、違います! そういう意味じゃなくて、その、付き合うっていうのはあくまで冒険の話で……」
 ばたばたと身振り手振りをするライカを見て、キャロルがまたぷっと吹き出す。
「あはは、ごめんごめん。冗談、冗談」
「……え」
 笑いながら片手で拝むキャロルに、ライカはしゅっと自分の顔が赤くなり、そして湯気のように気持ちが噴き出るのを感じた。
「ひ、ひどいじゃないですか、そんな冗談……」
「いや、最初はほんとにそう言われたのか思ったから、つい……ね? ごめん」
 キャロルは少し申し訳なさそうに笑うと、一歩ライカに近づき、その顔を見上げた。そうして、続きを言葉にする。
「いいよ、ボクでよかったら。一緒にイブラシルに行こ」
「ほ、本当ですか?」
「うん! キミと一緒は、なんだか楽しそうだもの」
 名乗った時のように、にっこりとキャロルは微笑む。
パーティ最初の二人は、こうして出会った――


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